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2022.08.03
スポットライト委員会、委員長の桂田です。
今回は同じ伏見部会という事もあり以前から伏見部会を盛り上げてくてれている中村さんを取材させていただきました。
見た目はとってもチャラいですね・・・
が、こう見えて実はめちゃくちゃ真面目&お酒は一滴も飲めません(笑)
が、いつも泥酔レベルでみんなを笑わせてくれる超ムードメーカーなんです。
一緒にいても一切のストレスを感じない男、笑いしかない男、
皆様、ぜひ中村圭吾さんを知ってください!
株式会社中村製作所 代表取締役
創業者であり一代で今の中村製作所を築き上げてこられました。
家族:奥様 小1の息子さん 4歳の娘さん
休みの日は趣味のドライブで家族でお出かけ
趣味:無心の靴洗い スニーカーをひたすらブラシで洗い、干す事
「皆さんの靴も洗わせて下さい!」
1979年12月14日、京都府南丹市園部町にて生まれました
小・中・高と地元で過ごされ、美容師を目指した中村さんは東京へ!
「カリスマ美容師という言葉が流行っていた時代です。スライドカット、とか。
出身が田舎すぎてとにかく都会に出たかったんです。
中学生から服やファッションがとにかく好きで、おしゃれといえば東京やと思って。
街角スナップの撮影をされたりして・・・FINEBOYSとか載りました(笑)」
東京で4年ほどファンキーな生活を送られていたようです。
「美容師も見習いなんで給料も安くて夜遅くまで仕事、休みもなくて大変でした。
18歳で上京したので、そんな中でも遊びたいが勝って、東京でできた友達や仲間と寝ずにずっと遊んだりしてました。
でも頑張って働いてもお金も無くて、東京にもだんだん疲れてきて・・・
4年いましたが京都に帰ってきました」
帰ってきた中村さんはやはり好きな服飾系の仕事がしたくて、京都のアパレル業界で勤務されました。
「新京極の古着屋とトミーフィルフィガーの掛け持ちしてました」
「それでもやっぱり稼げなくて・・・そろそろ本気でちゃんと働かないとって思って。」
コカ・コーラの赤いトラックに憧れた中村さん、次は飲料のドライバーになりました。
「工場やファッションビル等色んな所に補充に行くんですが女子高とか行ったら教室から下敷きで太陽の反射とかされたり・・キャーキャー言われてました。
その後学校からクレームが来ることになるのですが(笑)
人との関りが好きで、楽しかったんですが結局そこでも給料が上がるわけでもなく・・・」
3~4年経ったころ
「工場や製造業って土日も休みで給料のいいイメージで。急に工場勤務を始めました。
未経験から始めましたが、製品を作ってたら面白くなってきて・・・
部品から完成していく行程が楽しいんです。
でもそこでもまた給料は決まってるし・・・
そこで急にパッと思いついたんです。
これ自分でやったらええんちゃうん!って。出来るんちゃうん!!って。
勘違いですよね。
完全に思いつきでノリでやりました。
どこの仕事をどうもらうとか取引先とか仕入とか一切考えず・・
当時経営者でもなんでもないので分からない僕は、自分でやったらそのまんま儲けになるって単純に思ったんですね(笑)
そんな時、伏見を走っていた時に空き倉庫・店舗を見つけて・・
ここでやろうかな?なんか空いてるし。ちょうどいいやん!って思って(笑)
家主さんに電話して、借りたいって伝えて・・・
やったことない事業を始めようと思ってるんですけどって。
最初家賃が30万って言われたんですけど
そんなん払えませんとか言って。でもこうしていきたい!って思いを何度も伝えているうちに熱意が伝わって・・・
何度も交渉に行っては、また来たんか?!とか言われつつ
家主さんの理解と応援のおかげで最終5万くらいになりました(笑)」
破格の値下げ交渉に成功され、そこから現在の中村製作所が始まりました。
当時同じ職場にいた仲間(現在、中村さんの右腕にあたる大窪さん)を誘い、二人で事業を始められました。
事業内容は、部材や図面も全て提供を受けて、組立の委託を受けています。
「基板にはんだ付けして検査しています。
最終の製品としては、高速道路のトンネル内のLED照明の電源になったりしています。
弊社は仕入も在庫もありません。依頼されて注文書が発行され、資材の提供をうけて組立、完成させています。ただ、それにかかる設備、例えば計測器などは購入しないといけませんが。
創業当初は作業台も無くて、コーナンで木を買ってきて自分で組み立てて自作しました。
最初作業台も2個とかで始めたんです。
でも仕事が無いんですよ・・・
そこで僕は元々働いていた工場へ仕事をもらいに行ったんです。
独立したんで、仕事下さい!って。
え?!ていわれましたけど・・・(笑)
そこで結局仕事をもらったのがきっかけで・・・
ありがたい事に今は5~6割の仕事をそこからもらっています。
初めは2人で始めた会社でろくに給料も取れなかったです。
しかもそのタイミングで結婚したんです(笑)
妻は保育士やったんですが理解してくれて一緒になってくれました。
1年くらいまともに給料も渡せなかったですね。
必死で営業に回って仕事を獲得していくうちに段々注文も増えてきて・・
今では13名の社員に支えられています。誰1人初期から辞めてないので感謝しています。
社員、取引先、色んな人みんなに助けられてここまで来ました。ノリでやったけどここまで来れました(笑)
ほんまに人が足りなくて作業が行き詰まってるときは
近所のおばちゃん3人くらいに頼み込んで手伝ってもらったりもしましたね。」
そんな事も出来るんですね(笑)
社長っぽくない中村さんは社内でもめちゃくちゃフラットな立場にいらっしゃいます。
社員さんととっても仲良し。
そして社員さん13名中9名が女性なんです。
「女性の方が細かい作業とかがやはり得意やったりしますね」
社内を案内していただいたんですが社員さん一人一人の紹介をしてくださいました。
全員をいじり倒しながら・・・
起業時についてきてくれた右腕大窪さん
中村さん:この人はもう大ベテランです
大窪さん:いや僕まだ今日で二日目なんで・・
中村さん:うちのNo2です!
大窪さん:下から二番目です
ボケ倒す社員さん・・
さすが中村さんの社員さん達。
中村さん:この方はこの前仕事を休んで海に行って焼けてきた人です
社員さん:もう~恥ずかしい~・・
中村さん:この方はネイルしてるんで作業時危ないんですが反抗期で言う事聞かないんでいつまでもネイルしてくる人です
社員さん:反抗期ちゃいますしー!!
紹介のしかた。。。(笑)
中村さんと皆さんがとても仲良く楽しそうに笑って、お仕事されていました。
中村さんは、社員皆さんの誕生日に毎年靴(スニーカーやサンダル・ブーツ)をプレゼントしているそうです。
「普段本人が買わないような物とか僕が勝手に選んで、それを喜んで履いてきてくれると嬉しいんです」
今年は社長からどんな靴が貰えるかなって皆さん楽しみにされているそうです。
そして社員の皆さんからは、毎年中村さんのお誕生日には中村さんの大好きなNEWERAのキャップをプレゼントされるそうです。
社員さん1人につき1つなので1年で13個のキャップのプレゼント!
「めっちゃ嬉しいです、ほんまに。」
経営者って孤独とはよくいいますがそんな事は無縁の雰囲気でした。
「それはよく言われます。みんなより先に会社きて掃除して事務処理して・・みんなが出勤してからは一緒に現場も入ったりするんで・・・そんな事もしてるからかもしれないですね」
中村さんが大切にしていることがあるそうです
・規模が小さいながらもマニュアルや品質管理はしっかり標準化する
・5Sの徹底
・毎日の日常点検
・行程記録表の記録と確認
・教育訓練の徹底
「お客さんには、意外とちゃんとしてんねんなってビックリされます。
見た目とのギャップがすごいな、って。そんな事やってそうでないみたいで(笑)」
お仕事の話になるとおふざけ無しでした。
「仕事は自分でやりだして、社員や関係先への責任もあるし・・真面目です!
遊びは遊びで・・・
みんなで仲良く盛り上げていけたらなって思います」
3年前に移転された工場も、製造業とは思えないとってもおしゃれな空間でした。
コンセプトが海やサーフィン
壁は白い木目のヴィンテージ調、ロゴは波のモチーフで中村製作所の「N」
皆さんでこのロゴTシャツを着て作業されていました。
休憩室もロコな雰囲気
「ちなみに僕は丘の丘サーファーです。丘のまだ上の丘にいます」
取材中もずっと笑わせていただきました。
ですが仕事になると本当に真面目、社員みんなに愛される社長です。
笑いたい方は中村さんに話しかけてみてください。
こんなぶっとんだ面白い人いたんや、って思います。
爆笑させてくれますよ。
残りあと1期、きっと大きな爪痕を残す中村さんの今後に引き続き注目です!!
記事編集:スポットライト委員会 桂田
※本記事は、各会員が、思い思いに書いておりますので、京信ジュニア・オーナー・クラブの正式見解ではありません。