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2022.11.09

老舗京料理店 若主人

皆様、TEDってご存じでしょうか?

Technology Entertainment Designの頭文字から取られたもので、色々な分野の著名人にプレゼンをしてもらい、無料で動画閲覧できる人気コンテンツです。

日本国内でも「TEDx●●」と称するイベントが各地で開催され、人気を集めています。

 

2022年10月16日、京都芸術大学にてTEDxKUAが行われました。

 

そこに『老舗京料理店若主人』として山田 晃弘さんがスピーカーの一人としてご登壇されました!!

会場の雰囲気はこんな感じ

今回は、この時のプレゼンでお話になった内容をご紹介しながら山田さんの会員紹介をしたいと思います!

 

JOCに絡んだお話もされています。

実に堂々たる『老舗京料理店若主人』さんでオーラがすごかったです。

それでは、山田さんのプレゼンお楽しみください!

 

 

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みなさん、こんにちは!

山田晃弘と言います。和食料理店を営んでいます。

江戸時代中期、1757年に創業した料理屋です。

創業265年、数えると私で10代目になります。

店は江戸の創業当時、魚屋でした。

二条城に魚を持って出入りさせてもらったと聞いています。

そこから魚を料理してお家とかお寺に運ぶ、仕出しという仕事をはじめます。

 

これって、何かわかりますか?

これは「おかもち」って言います。

昔はこれで料理を運んでいました。

明治21年新調と書いているので、遅くとも1888年には仕出しの仕事をしていたようです。

 

今から60年ほど前からは、お店に来て料理を食べてもらう料理店の仕事を始めています。

 

 

こんな白衣を着て、いかにも料理人という姿をしていますが、今日はお料理の話は全然しません。

今日お話ししようと思っているのは、人と人との繋がりのことです。

 

 

私は小学校は京都市内の学校に通いました。

中学・高校は大阪へ通学。

大学・大学院は東京で一人暮らしをしました。

両親は積極的に私を京都から出そう出そうとしました。

京都を中からと外からと、両方から見るという経験をしないといけないということだったかなと思います。

 

土地によって人々の考え方も変わりますし、狭い範囲の常識にこだわる必要のないことを、身をもって体感して欲しかったのかなと思います。

 

 

右は母です。

時に厳しいですが、とてもやさしい母でした。

 

私の成績が多少悪くても、多少学校に遅刻しても、まず必ず私の言い分を聞いてくれました。

頭ごなしに叱られた記憶というのはほとんどありません。

 

でも2回だけ、記憶に残るくらい、本当に恐ろしいほどメチャクチャに叱られたことがあります。

 

1回目は、私がマンガ週刊誌を買ってきたときでした。

中学生の私はある時、とある大型書店でマンガ週刊誌を買って帰ってきます。

母は、

「そんなどこでも買える雑誌を、何でわざわざそんな大型書店で買ってくんの!もっと考えなさい!」

今だいぶんと優しめに再現しましたが、それはそれはもう恐ろしい迫力でした。

 

今はもう閉店しましたが、隣の町内にあった、小さないわゆる町の書店でこれからは買いなさいと言いました。

 

2回目は高校3年生の時。

今から25年ほど前のことです。

大学受験の願書に貼り付ける証明写真、これを通学の最寄り駅に設置されていた写真機で撮って帰ってきた時でした。

私としては、安い・枚数もいっぱい・すぐもらえる。

良いことばっかりやん。

学校の帰りに友達と軽い気持ちで撮影してきたのですが。

また母は叱るんです。

 

「あんたなぁ!!その写真機がウチにご飯を食べに来てくれはるんか!!もっと考えぇ!!今すぐ撮り直してき!!」

 

こちらも今はもう店を閉じられてしまいましたが、近所にあった写真館での撮り直しを私に命じました。

 

さて、この2つの叱られたエピソードは私に何を伝えているでしょうか。

 

1つは当たり前ですが、この世界は「必ず」誰かの仕事でできているということ。

2つ目は、あっけなく街の景色を変えるほど、人々の消費という行為が持っているパワー、それは実はすごく大きい。

そういうことではないかなと思います。

 

価格や利便性、それだけに流されて自らの消費行動を決める。

これは自覚なく少しずつ自らの首をしめていること。

母は私に、中学生、高校生と言えども、自分の消費が世の中を変える可能性があるんやで~、っていうことを強く意識させていました。

 

日本でも選挙権を持つ年齢が18歳に引き下げられました。

投票に行きましょうって叫ばれます。

でも18歳よりずっと前、私たちはお小遣いをもらったその時から、すでに社会を変えるインパクトのある武器を、実はこの手に持っているんです。

 

さて、ここからコロナで一変してしまった話をします。

皆さんもご存知の通り、我々飲食店の置かれた環境は、この2年余り、コロナ禍の影響でまさに一変してしまいました。

 

営業時間の制限、お酒の提供の制限、座席数の削減が要求されたり、収支計画はあらゆるお店で大きく崩壊しました。

 

私もお店に来てもらえない以上、持ち帰りの拡大にチャレンジすることにしました。

ただお店のお料理を、そのまま持ち帰りの容器に詰めるのではなくて、少し工夫をしました。

 

こんな感じです。

お料理を全て同じサイズの容器に入れて、こんなふうにお客様に好きに組み合わせて、購入してもらう仕組みです。

 

お客様の評判も上々でした。

 

するとある時、私は思いついてしまいます。

「これ、この大きさの容器に入っていたら、ウチの料理だけやなくって、他のお店のお料理も一緒に組み合わせて販売できるよなぁ。」

 

実は私のお店は元々40年くらい前から、デパ地下でお惣菜の販売を行なっていました。

そこでの経験を蓄積していたので、こういう変化にも柔軟に対応することができました。

でも同じコロナ禍にあえぐ飲食業の中には、そうした経験がなく、苦しんでいるお店さんも多いことを知りました。

 

実は一般の方は、意外とご存知ないと思いますが、元々作ってすぐ食べてもらえるお料理と、作り置いて販売されるお料理、これには製造過程の取り扱いに大きな違いがあるのです。

 

またこれって、2つ、もしくは4つ、お料理を入れられる箱があって、そこに何を入れるかは自由というのは、お客様が自分だけの納得する一食を作ってもらえる。

 

例えば、お年をお召しの方がお子様ランチみたいな組み合わせの一食を作ってもらってもいいし、逆にお子様がゲキ渋の和食全開みたいな一食を作ってもらったっていい。

 

他人に迷惑をかけない限り、自分さえ納得していればいいので、自分の好きな物をもっと追求していいと私は常々思っています。

 

多様性を備えた社会って自分の好きな物を追求した後に、それを認め合うことができる人々によって作られるのかなと、そしてそれらを表現した今までにない商品になるのではないか、私はそう考えました。

 

また極端な話、私のお店だけが変化して生き残ってもダメで。

京都には町に根差した様々な個性あるお店さんがいくつもあります。和食も中華も洋食も。

こうしたたくさんの選択肢がある状況だからこそ、私の店を「選んで」来てくださるお客様もある。

 

また漁師さん、農家さん、運んでくださる方、本当に様々な関係者のおかげで私は今お商売ができている。

地域の食の多様性を守るためにも、今はお店がそれぞれ点と点になっているのではなくて、点と点が線になって、線がまた面となって、魅力を発信しなくてはいけないのではないかなと考えました。

 

競い合う競争から、共に創る共創への転換です。

幸いなことに、私の思いに共感してくださった、地域金融機関や百貨店、また地域のお店の協力を得て、この春一つの売場を作ることができました。

 

 

成功も失敗もあって、新たな課題も生まれたので、とんとん拍子にうまく行くということは無かったのですが、私は一つ大きな発見をしました。

 

それは、成功と失敗は実は紙一重だということです。

 

 

それは失敗するよりも成功する方が良いですけれども、成功からは自信を得られるし、逆に失敗からも経験が得られます。

 

思ってても何もやらへんより、ちょっとくらい失敗したって、挑戦したことは、せえへんかったことよりはるかに素晴らしいことでした。

 

さて、そろそろ締めないとあきません。

最後にもう一つ、大事な話をします。

それは見落としがちですが、このチャレンジの土台になったものの話です。

 

それは、人と人との繋がりのことです。

 

皆さんは、学校や職場と、家と、それ以外に自分の居場所を持っていますか?

最近の言葉ではサードプレイスというふうに言われるそうです。

 

本当にたまたまですが、私は地域コミュニティーの中にそうした居場所を見つけていました。

 

そこで私がこういう思いがあって、こういう物を作ってみたい、それは皆のためになることではないか?いやそうでもないのか??思って悩んで、コミュニティーの身近な人に言いふらしました。

 

それは面白いよと背中を押してくれる人、一緒にやろうと言ってくれる人、実現のためのアイデアをくれる人、人と人を繋いでくれる人。だんだん「勝手に」人の輪が大きくなりました。

 

それらの「人」がおられなければ、私の思いつきはただの思いつきで、絶対に形にはなりませんでした。

 

アイデアを思いついた「私」がエライんじゃなくて、こんな変なことを思いついて、それを許容してくれる京都の町と人が持つ包容力の大きさこそが、偉大だと思います。

 

 

いまはさらにそのコミュニティーから面白い仲間が集まって、グループを作りました。

全員が若手の経営者たちです。製造業、士業、小売業、サービス業、色んな業種のほぼ全員社長。

 

今はそれぞれの経験を生かして、思いや志のある若者や学生さんの、その思いが形になるまでを支援させてもらう活動を始めようか、とか話しています。

 

その集まりで何ができるか、どんな価値を生み出せるか、本当に何もわかりませんが、それでもワクワクしながらこの冒険と実験を続ければいいかなと思います。

 

 

若い方は周りに気軽に話しかけてみればいいんです。

ちゃんとしてないと話してはいけない。

そんなこと思わない方がいい。

 

ほんの少しの勇気を出して、自分の考えていることを背伸びしないで話す。

自分をさらけだすのは、勇気が要るんです。

でも人と人の繋がりは、すべてその小さな勇気から始まります。

 

 

私は働くって、「何かを作ること」だと思っています。

でも最近、作るものが変わってきました。

料理人は料理を作る、と思い込んでいました。

料理人は食べてもらったお客様の、明日の元気な身体を作るんです。

そう考えると、私が作るものは、料理に限る必要がなくなりました。

 

若者が明日への夢を持てるような社会を作る。

このことでも、若者の明日の元気な身体を作っているのではないかと思います。

 

だから私の話を聞いてもらって、なんかわからんけど元気になったわ。明日から頑張ろう!って思ってくださっている方がこの会場にたった一人でもおられたら、私は今日一切料理は作っていませんが、料理人として最高の仕事をさせてもらったな~と思います。

 

記事制作 スポットライト委員会 三上

※本記事は、各会員が、思い思いに書いておりますので、京信ジュニア・オーナー・クラブの正式見解ではありません。