Member’s InterviewNo.0019 野中 淳史
西陣織の伝統を後世へ紡いでいく
野中 淳史 nonaka_atsushi
皆さん、こんにちは。
いつもオフィシャルサイトをご覧いただき誠にありがとうございます。
大津部会 総務委員会 委員の重近 弘幸です。
今回ご紹介するのは、北大路部会所属 野中 淳史さん(43)です。
京都・西陣の地で、織物製造業・卸売業を営んでおられる「紫紘株式会社」の本社を訪問させていただき、野中さんにお仕事に対する想いやJOC活動、ご趣味などについて取材してまいりました。
お仕事について
記者:本日はお忙しい中、取材対応いただきありがとうございます。まずはお仕事について教えてください。
野中:紫紘株式会社は、着物の帯を中心とした織物づくりをしており、製造した織物を小売店へ卸売するメーカーになります。また、「西陣」という行政地名はなく、西陣織をはじめとした伝統産業や伝統文化・伝統芸能、寺社、花街の文化、歴史的な町並み、商店街、観光スポットがあるこのあたりのエリアを中心とした地域として「西陣」と呼ばれています。
記者:なるほど。知りませんでした。
野中:よく言われます笑
記者:商流的にはBtoBもあれば、BtoCもあるのでしょうか?
野中:BtoBがメインです。弊社は小売店に卸売をしているのでBtoCでの商いは少ないです。
記者:なるほど、ではECサイトは運用されているのでしょうか。
野中:ECサイトの運用はございません。何分取り扱いの商品が高額になりますので、実際に現物をご覧いただいた上でご購入いただく場合が多いです。
記者:高額というと…どのくらいの値段になるのでしょうか。想像もつかないです…
野中:そうですね、着物等も全て揃えると100万円ほどになったりもします。着物に対する知識があり、慣れておられる方だとECサイトでご購入いただく場合もあるようです。
記者:なるほど。もしよろしければ、実際に販売されているお品を見せていただけますか?
野中:良いですよ。こちらになります。こちらが一番オーソドックスな製品になります。
記者:こちらは会社のロゴでしょうか。
野中:そうです。昔は製品に会社のロゴは入れていなかったのですが、20年ほど前から入れるようになりました。こちらは正倉院文様の琵琶に螺鈿でこういった柄が入ったものになります。この柄がルイヴィトン(Louis Vuitton)のマークのルーツと言われています。弊社の取引先が催し物で商品を紹介している時にX(エックス)でかなりバズったようですが、売上には中々繋がらなかったようです。
記者:そうなんですね。
野中:こちらは女性用の帯になります。こちらは名古屋帯と言いまして、形は同じですが、寸法や売り方が全然違うものになります。葉っぱを貼り付けたような柄になっています。
記者:触らせていただいてもよろしいでしょうか。凸になっていると思いましたが、面はあっているのですね。
野中:そうです。たて糸の上げ下げによこ糸を入れてこういった柄を作っています。
記者:自社でデザインされているのでしょうか。
野中:自社でデザインしています。自社でデザインしたものを紋屋さんという職人さんに依頼して、パンチカードのような機織の設計図を作ってもらい、実際の機織機で再現できるようにしていただいています。
記者:パンチカードですか?!すごい技術ですね。
野中:このジャカード織機というのはフランスの方が発明されたと言われています。明治時代に、西陣からフランスへ留学した方がジャカード織機を持ち帰ったと言われています。
記者:そうなんですね。現代はこのパンチカードに代わるものというとパソコンのCADのようなものになるのでしょうか。
野中:そうですね。今はパソコンで設計しています。1980年頃から変わってきました。それ以外ですと、伝統的な織り方で、機械等は使わず、下に絵を置いて手作業で糸を織り込んでいくという綴(つづれ)織という技法になります。
記者:そういった技術をお持ちの方がいらっしゃるのですね。
野中:そうですね。ただ、そういった技術をもった方もかなり少なくなってきました。
記者:伝統産業共通の悩み、ですね。
野中:こちらはテイストが洋風なもので、「モダンデザインの父」と呼ばれたウイリアムモリスのデザインから取材して製作したものになります。イギリスの国会議事堂の椅子に使われているようなデザインです。着物の柄にすると一風変わったものになります。
記者:なかなか珍しいですよね。
記者:ちなみに創業はいつからになりますか。
野中:創業者は私の祖父で1920年に山口織物所として独立し、織屋を始めました。第二次世界大戦中に一度廃業しまして、戦後に織物業を再開し、1954年に紫紘株式会社を創業しました。
記者:1980年頃から業界的に変化があったということですが、明確にこれが原因というものはあるのでしょうか。
野中:研究している学者の方曰く、1960年頃になると日本も豊かになってきまして、ガチャ万時代という好況が到来しました。
記者:ガチャ万?
野中:機織機を1回ガチャとするたびに万単位で利益が上がるくらいに好景気、ということです。
記者:ひええ。
野中:元々は一般のお客さんも購入するものだった着物が、メーカーが着物を高級化することで、富裕層向けのものになっていきました。
記者:転換期だったわけですね。
野中:そういった流れで西陣織だけでなく、繊維産業全体が成長していきましたが、バブル崩壊後は、高級な着物を購入される方もどんどん少なくなり、いろいろなものが世界から輸入されるようになり、競争に晒されるようになって、どんどんシェアを失い、落ち込んでいったと言われています。
記者:なるほど。
野中:60年、70年代が西陣織の最盛期で、当時は長者番付にのるような方もいらっしゃいました。
記者:すごいですね。
野中:今は業界的に落ち込んでいるので、西陣織工業組合として、盛り上げていこうといろいろと取組を図っているところです。
記者:今後の展望をお聞かせください。
野中:逆にいろいろとアドバイスをいただきたいくらいです。今の業界的には、昔から主力の機織ができる職人さん達に生産を頼ってしまっている状態で、後継者を育てられていないという問題があります。
記者:後継者の育成、皆さんの課題ですね。
野中:はい。また、そういった主力の職人さん達が、コロナ禍のタイミングで調子の悪い方が出てきたりして、引退される方がたくさんいらっしゃいました。
記者:コロナ禍の影響はやはりあったわけですね。
野中:西陣の生産の仕組みとしては、出機(でばた)さん(機織機を操作する技術のある職人・業者)が、内機(うちばた)さん(機織機がある工場)へ行って、内機さんが材料をお渡しして、織物を製作するという流れです。
記者:なるほど。
野中:さらに、職人の問題の他に、道具の問題もあります。機織機の組立や修理ができる大工さんが3名ほどいるのですが、その方々が、廃業するところの機織機を解体して良いパーツを再利用して、新たに機織機を作ったり、修理したりしていますが、それもいつまでできるのか不安な状況です。
記者:それで少し修理のご相談があったんですね。(取材前に少し相談がありました。)
野中:また、西陣織の生産体制としては、博多織のように一社が一貫して製品化する産地とは違い、西陣の産地全体で製品化するという分業体制をとっています。例えば、図案家さん、糸屋さん、染屋さん、織屋さんというように仕事を分担しています。
記者:分業制なんですね。
野中:メリットとしては産地全体で、専門的な技術力が向上しやすいということがありますが、デメリットとしては、ある程度の生産を確保できるのであれば効率が良いのですが、10軒の織屋さんで1軒の染屋さんが成立しているところが、織屋さんが減っていくと染屋さんが成り立たなくなっていくということがあります。取り掛かりが遅かったのですが、5年ほど前から西陣織工業組合主導で、現状を打開するべくいろいろと取組を行っているところです。
記者:歴史ある日本の伝統工芸品ですので、海外の方も西陣織を学びたいという方もいらっしゃると思いますが、いかがでしょうか。
野中:海外の方で西陣織を実際に作りたいという方はあまり聞かないですね。ただ、海外の方も興味はある方は多いようでして、西陣織を使った壁紙を開発して、海外のハイブランドであるディオールやエルメス、カルティエ、シャネルなどの店舗内装を手掛けられているところもおられます。やり方によっては、販路が広がるかもしれないですね。
記者:なるほど、少し話が変わりますが…お爺様が、源氏物語を織物で作られたとか。
野中:そうですね。徳川美術館と東急グループの五島美術館に1000年前に作られた「源氏物語絵巻」が展示されているのですが、私の祖父が晩年、後世に残したい仕事として、「源氏物語絵巻」を織物で表現するという研究をしていました。祖父が亡くなった翌年に「源氏物語錦織絵巻全4巻」は完成し、生前の祖父の意向により、フランスに寄贈され、ギメ東洋美術館に収蔵されています。会社のロゴも源氏物語の「若紫」の源氏香の図柄が由来となっています。
JOC活動について
記者:JOCに入られたきっかけを教えてください。
野中:入会は第20期です。姉が経理を担当しているのですが、金庫さんを通じて姉からJOCに行っておいでと言われるがまま、オリエンテーションとウェスティン都ホテルでの例会事業に出席しました。
記者:そうなんですか笑
野中:例会では当時私が新入会員ということで、皆さんの前でご紹介していただきました。例会が終わった後に北大路部会で集まるということで、部会の方に色々と声をかけていただき一緒に食事したのを覚えています。
記者:部会事業はよく参加されますか?
野中:最近まで、部会事業と本部事業の違いがあまり分かっておらず、部会事業の時は近所の知り合いの方が多いので、声をかけていただいて参加しているという感じです。
記者:JOCに入られて良かったなと思うことはありますか。
野中:同じ西陣の中での繋がりも勿論出来たのは良かったですが、あまりお会いする機会のない異業種の方とも繋がりができて、いろいろな学びがあったり、交流を深めることができたのが良かったです。
パーソナルな部分について
記者:お休みの日は何をされていますか?
野中:2歳と5歳の子どもがいるので、阪急スクエアに行くことが多いです。また子どもの遊び場などへ一緒に行っています。
記者:休みの日にJOCの方と会って遊ばれたりすることはありますか?
野中:何度かOB会員の戸田先輩のところのバーベキューに参加させていただきました。綺麗な庭があって、マイナス50度の冷凍庫があったりで凄かったです笑
記者:凄いですね!また、趣味がけん玉と伺いましたが…
野中:小学生のころに学芸会でけん玉をするという機会があり、たくさん練習しました。ただ、Youtubeで動画を公開しているような恐ろしく上手な人と比べると、そこまでのレベルではないです笑
記者:学生時代は何か打ち込まれたものはありますか?
野中:部活はほとんどしておらず、同志社高校の時は放送部に所属していました。所属していた理由というのが、当時、学校にほとんどエアコンがなかったのですが、放送室にはエアコンがあったので笑
記者:エアコンが効いた部屋は快適ですよね。
野中:そうですね笑
記者:同志社高校を卒業されてすぐにこちらで働かれたのでしょうか。
野中:いえ、高校卒業後は京都精華大学の美術学部に行きました。大学卒業後に紫紘株式会社に入社し、はじめのうちは手織を学び、営業も担当するようになりました。今は営業の他に、機織機の立ち上げなどをしています。
記者:休日の過ごし方で、どこかお店に食べに行ったりされますか?
野中:自炊することが多いです。料理系ユーチューバーの動画をよく観ていて、公開されているレシピを再現したりしています。
*写真は塊肉の塩釜焼きだそうです。凄い!
最後に
記者:ご自分の中で、大事にされているルールや座右の銘のようなものはありますか?
野中:特にそういったものはないですが、近年生産されている生地は豊田自動織機が製造しているようなシャトルレス織機といってコンピューター制御で風圧や水圧を使って、高速で織っていく機械が主流ですが、西陣織はその機械では製作することができないものがあります。祖父をはじめ、西陣織の先人達が作り上げてきた伝統や技術を後世に残していきたいと考えています。
記者:本日は、業界として直面されている問題をたくさん教えていただきました。JOCには様々な業種の会員さんがいらっしゃいます。同世代の経営者に悩みをご相談いただいたり、同じような問題解決策を考えておられる会員さんと情報共有していただいたり、会員交流を通じて、少しでもJOCをお役立ていただければと思います。本日はお忙しい中、ご対応いただきありがとうございました。
野中:ありがとうございました。
また、取材後設備を見学させていただきました。
複雑で繊細な機器で溢れており大変興味深いものでした。
取材対応いただき、誠にありがとうございました。
紫紘株式会社 本社
住所:〒602-8416 京都府京都市上京区東千本町411
TEL:075-415-1717
FAX:075-415-1719
◇電車の場合
・地下鉄「鞍馬口駅」下車、徒歩約15分
・JR京都駅から市バス206系統約30分「乾隆校前」下車→徒歩約7分
紫紘株式会社 東京店
住所:〒103-0007 東京都中央区日本橋浜町2-48-7 北村ビル1階
TEL:03-3667-0661
FAX:03-3667-0667
◇電車の場合
・地下鉄「人形町駅」下車、徒歩約12分
・地下鉄「水天宮前駅」下車、徒歩約9分
総務委員会取材チーム
リーダー 古市谷 達也(洛南部会)
インタビュアー 林 良輔(大津部会)
撮影・アシスタント 岸場 啓太(近江部会)
記事作成 重近 弘幸(大津部会)