みなさん、こんにちは。
特別事業委員長の高田です。
さて、週末の京都は秋晴れのさわやかな日でしたね。
私は、この週末に左京区の如意ケ岳に登ってきました。大文字山のことですね。標高472mと、決して高い山ではありませんが、子供たちを連れて登るとなると決して楽な登山ではありませんでした。まだ筋肉痛は出ておりませんが、明日ぐらいから出てきそうな予感が…。
さて、登山はよく人生にたとえられますよね。登り調子もあれば、下り坂もあり、まさかという坂もあるなど。登山の度に、何かしら気づきをもらえリフレッシュできるので登山はいいですね!
今回の気付きは、登山道でのあいさつのことです。登って疲れているときに下山の方から『こんにちは。』と一声をかけてもらうと、息も絶え絶えのなか、『こんにちは!』と返すことができます。また、続けて『もう少しやし頑張れ!』と声をかけてもらうと、元気が湧いてきます。自分から進んで挨拶をすることが大切だと改めて気づくとともに、普段は通りすがりの方と挨拶などしない子供たちも挨拶をするようになっているこの環境に感謝をしながら登山を楽しみました。
禅問答の話になりますが、宋代の禅門の重要な書物「碧巌録(へきがんろく)」に「一挨一拶(いちあい いちさつ)、其の深浅を見んと要す」という言葉があります。
禅門の修行者は、相手の修行の深浅を量り知るために、存在をかけてぎりぎりの問答をかわします。
「挨」は「押す、攻め込む」
「拶」は「攻める、迫る、切り返す」
という意味で、 攻める、切り返すという、ぎりぎりのつばぜりあいでこそ、 本当に相手に迫り、相手と心を切り結ぶことになる。
ここが「挨拶」の語源といわれます。
しかしながら、もとがこのような意味であるのに、昨今の私たちの普段の挨拶はどんなものでしょうか。
人が挨拶してくれるまで待つ。適当にぼそぼそと言葉を交わす…など。
挨拶は人間関係の原点と言われます。
そしてそれは私という全存在を一瞬にして語っていると言っても過言ではないかもしれません。
この言葉の原点をしっかりと考え、 心を込めた礼をわきまえた、相手の心に残る挨拶とはどんなものか、改めて考える機会を得た素晴らしい登山でした。
※本記事は、各会員が、思い思いに書いておりますので、京信ジュニア・オーナー・クラブの正式見解ではありません。