みなさんこんにちは。総務委員会谷口です。
突然ですが、今年はオリンピックイヤーですね。
日本の裏側ブラジルのリオデジャネイロ開催ですね。
自分自身記憶に残ってるのは、ボランティアとして参加した
98年長野冬季オリンピックです。
沢山のメダルを獲得しましたが、中でも印象深いのはジャンプ団体の金メダルでしょう。
四年前のリレハンメル同競技で自身のミスで、まさかの銀メダルに終わった原田選手!リベンジを掛けて望んだ長野で、またしても失敗ジャンプ…
以後1回目のジャンプが終わった時点で日本は4位・・・。
天候悪化で中止か再開かという事態になりますが、競技は再開され
日本はめでたく金メダルを獲得しました。
当時は知らなかったのですが、優勝後の原田選手の
「俺じゃないよ。みんななんだ みんな」と言うコメント。
みんなと言う言葉は一緒に飛んだ船木・岡部・斉藤の
3選手のことだと思われてますが、実はこの言葉には
もう1つ別の意味が込められていました。
長野オリンピックから遡ること4年、リレハンメルオリンピック。
この大会に西方は原田と共に代表選手として出場していた。
この時日本は西方や現在も活躍中のレジェンド葛西の活躍で
史上初のジャンプ団体金メダル目前…
最後はエース原田。普段通りに飛べば全く問題ない距離だったが
失敗し二位に…
西方は4年後を目指し練習再開するも腰の故障もあり、
代表メンバーから漏れたのでした。
さらにテストジャンパーとして、長野オリンピックへの
参加依頼を受ける。
テストジャンパーとは競技の前に飛ぶ裏方のジャンパーのこと。
その飛び方を見てジャンプ台に危険がないか確かめたり、
スピードが出過ぎないようスタート位置を調整したり、
競技中には雪が降った時などに飛距離を確保するため、
テストジャンパーが何度も飛び、ジャンプ台の雪を踏み固める
役割を担う。
西方は、テストジャンパーとして参加を受諾し、いよいよ開幕。
西方が見守る中、原田は1回目79.5mと言うミスジャンプで
トップから4位に順位を下げてしまう。
西方が原田の様子を見に行くと…
原田は西方のアンダーウェアに葛西のグローブをはめて
大会に臨んでいた。
その時ジャンプ台では吹雪により、助走時の二本の溝に雪が積もりスピードが出にくくなり、飛距離が伸びずジャンプ競技自体
成立しなくなる。
再開か中止か決めるのは四人の競技委員だが、テストジャンパーにジャンプしてもらい確認することに…
天候は更に悪化、果たして…。
テストジャンパーは間を置かずスタート台に。
雪が積もる前に溝を固めていけば飛距離は伸びてくるので、
転倒が許されないプレッシャーの中、西方以外の24人が無事成功。
最後は西方だった。
雪がさらに勢いを増す中、彼はある重大な事実を知らされてなかった。それは西方が代表選手並みの大ジャンプをしたら、
競技再開を認めるというもの…
そんな条件など知らないまま、西方はジャンプ台に上がる。
これ以上ないと言う悪条件の中、代表選手をも超える
K点超えの123mの大ジャンプ
そして競技は再開された。
結果はみなさんご存知の通り…
こんな思いで仕事にチームプレーで取り組めれば
会社組織は素晴らしい成果が生まれると思います。
今回のリオオリンピックでは、どんなドラマが生まれるのか
楽しみですね。
そして4年後の東京オリンピック…
今期のテーマでもある、おもてなしの心を持って
盛り上がって欲しいですね。
長文になりましたが、お付き合い頂いた方、
有難うございました。
※本記事は、各会員が、思い思いに書いておりますので、京信ジュニア・オーナー・クラブの正式見解ではありません。