【私のバイブル】
こんにちは。
例会委員会委員の秋山伸夫(口丹部会)です。
皆様はご自身のバイブルと呼べるものはありますでしょうか。
影響を受けた書籍や音楽、憧れる人物、あるいは親や先輩からもらった言葉から、
自分の考えそのものが自分のバイブルだ、
なんて方もいらっしゃるかもしれません。
私のバイブルは、「論語」です。
論語は孔子の言葉を集めた記録集で、
永く広く親しまれている教えです。
日本の文化に大きな影響を及ぼしました。
論語そのものは知らなくても、温故知新であったり、
知っている言葉はたくさんあるはずです。
私の鞄には、いつも岩波文庫の「論語」が入っています。
論語の言葉は簡潔かつ美しく、想像力が無限に広がります。
孔子のステキなところは、その言葉そのものが素晴らしいだけでなく、
言葉からにじみ出てくるその人柄にあります。
強く、厳しく、明るくて、時は弱く、悲観的で落ち込んでいる様子が読み取れ、
とても人間くさいところが魅入られます。
最初に出てくる言葉の一節をご紹介します。
「朋(とも)あり、遠方より来る、また楽しからずや」(学而第一の一)
(友だちが遠くから訪ねてくる、いかにも楽しいことだね、だって同じ道について語りあえるから。)
京信JOCの事業もこんな感じでしょうね。
来年2月19日の本部例会、皆様にお会いするのを楽しみにしています!
さてさて、ブログの原稿の締め切りが過ぎ、さりとてネタが思い浮かばず、
優しい村山委員長の温かい視線を遠くから感じつつ(笑)、
もう今日はやめてしまおうかと悩みながら過ごしていました。
そんなとき、いつもそばにある私のバイブルを開きます。
「今女(なんじ)は画(かぎ)れり」
(君は今、自分の限界を自分で決めてしまったんだよ)
「たとえば山をつくるがごとし。いまだ一簣を成さざるも、止むは吾が止むなり。たとえば地を平らかにするがごとし。一簣を覆すといえども、進むは吾が往くなり。」
(たとえば山を作るようなもの。あともうちょっとのところでできなかったとしても、それは自分がやめたんだよ。たとえば大地を均すようなもの。ほんの少しの土をまいただけだとしても、それは自分で進んだんだよ)
叱られたような、励まされたような、
そんな心地よい気分でブログを書き終えます。
ある友人は、こんな私のことを
論語読みの論語知らずと評しました。
ほんとに、そうやね。
例会委員会 秋山伸夫