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渋沢史料館 見学!!

皆さん、こんにちは、東九部会のどんぐりの木村です。

先日、東京出張の際、前から行ってみたかった、渋沢史料館を見学しました。
残念ながら、館内は撮影禁止だったので、史料館や関連施設の外観だけ写真を撮ってきました。




渋沢栄一 (1840~1931年)

1840年、埼玉県に生まれる。農業・商業を営む家業を手伝うかたわら、尊王攘夷思想に傾倒したが、縁があって一橋慶喜の家臣となり、道が開ける。1867年パリ万国博覧会の幕府使節の一員として渡仏し、ヨーロッパの文明に触れ、新たな知見を得る。官僚となって数々の改革にかかわり、退官後は民間で次々と事業を立ち上げる。合本主義を唱道し、財界リーダーとしての役割を果たす。晩年まで、社会、教育、文化事業に尽力する。日本の繁栄の礎を築き、91歳で没した。





渋沢栄一が経営に携わった企業や社会団体は、500以上と言われています。
下記企業が、現存する一例です。

みずほ銀行
東京ガス
東京電力
東京海上火災保険
王子製紙
太平洋セメント
帝国ホテル
京阪電気鉄道
JR
キリンビール
サッポロビール
東京証券取引所
日本商工会議所
日本赤十字社
聖路加国際病院
一橋大学
日本女子大学  その他、多数。






渋沢栄一は、最盛期(1902年  明治35年ごろ)には、15の企業で、会長、社長、頭取を務め、他の13社で、別の役職に就いていたそうです。

めちゃめちゃ、凄いの一言ですねぇ(汗)

「JOCの代表幹事になって、毎日すっげぇ忙しいわぁ」 って言ってる、自分が、超ーちっこいなぁと思いました。(涙)







同じ時代をリードした経営者、三菱グループの創業者 岩崎弥太郎とは犬猿の仲といわれたそうです。

1878年(明治11年)、岩崎弥太郎が向島の料亭に、渋沢栄一を招待したそうです。
当時、岩崎弥太郎44歳、渋沢栄一38歳、お酒も入り、これからの事業経営のことを熱く語りあったそうです。

渋沢栄一 「これからの日本の未来の為、合本主義(私利私欲ではなく、公共、公益のために資本や人材を有効活用してゆくという考え方)で、富と権限は大勢と分け合うべきです!!」

岩崎弥太郎「合本主義など成立するわけがない!! 事業経営とは、一人の有能な人物が権限も株式も支配すべき専制主義(自分の意志のみに基づいて支配する独裁的な考え方)であるべきだ!!」

と、熱く熱く語り、激しくぶつかりあったすえ、長居は無用ということで、渋沢栄一が先に帰ったそうです。

今から思えば、明治時代最強経営者のスーパーバトルだったんだと思います。




今年の2月17日(金)、記憶も新しいかと思いますが、JOCの本部例会の講師として、渋沢栄一の曾孫 渋沢雅英先生にお越しいただきました。

実は、渋沢雅英さんは、岩崎弥太郎の血も継ぐ人物だそうです。

今回、渋沢史料館を訪れ、ブログを書く為に、10冊以上の渋沢栄一関連著書を読んで、その事実を知りました。

超ー超ービックリエピソードです。

下記著書の333ページに、その衝撃の事実が記載されていました。



今回、沢山の渋沢栄一関連著書を読んで、めちゃめちゃ勉強になりました。

中でも、「渋沢栄一 100の訓言」という著書の28ページに下記のような文章があり、すっごく、心に響きました。


渋沢栄一は、「偶然という御縁」を常に大切にする人でもありました。

「良い運は良い人との御縁から生じる」というのが彼の信念でした。

では、どのように、その「良い人たちとの御縁」を得るか。

そのためには、自分自身が「良い人」にならなければならない。






「人と人との交わりから」 を大切にしている、JOCの考え方と共通するなぁ~ って思いました。

 

 


この記事の作成者:代表幹事 木村

※本記事は、各会員が、思い思いに書いておりますので、京信ジュニア・オーナー・クラブの正式見解ではありません。