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平成30年度 第3回 企業研究事業ベンチマークツアー2日目【島根の田舎町を世界中の希望に 地方創生の中村ブレイス株式会社をベンチマーク】~石見銀山周辺散策 事業報告

事業名:京信JOC第20期企業研究集大成ベンチマークツアー in 広島・島根
【島根の田舎町を世界中の希望に 地方創生の中村ブレイス株式会社をベンチマーク】
 

内 容: 会社の利益より人の喜びを大切にする中村ブレイス株式会社をベンチマークしいい会社とは何か?人の幸せとは何か?を考えました。

場所:中村ブレイス株式会社

参加人数:  20名

日時:平成30年11月20日(金) 10時30分~12時00分 

運営担当:企業研究委員会

報告作成:広報委員会  上田(成)
撮影:広報委員会 上田(成)


栩谷委員(本店)より2日目行程の注意がありました。


続きまして企業研究委員会小柳委員長の趣旨説明
「昨日に引き続き本日もよろしくお願いいたします。いよいよ企業研究事業ファイナルとなりました。本日、訪問する中村ブレイスさんは、会社の利益より人の喜びを大切にする会社、世界を相手にする会社なので地元、石見銀山、世界遺産の近くで興された会社です。いい会社とはいい意味で可愛がる会社。社員の皆さんはいい顔をしています。
いい会社とは何か?人の幸せとは何か?皆さんが丸々、持ち帰るのではなくそれぞれが何かを持ち帰れるようにと思います。」


到着後、中村ブレイス 中村俊郎会長に小柳委員長から我々京信JOCの概要説明をしたのち、講演会が始まりました。


私は京都で修行させていただき、京都なくして今の私はありません、そんな京都の皆さんがいらっしゃるという事で楽しみにしておりました。
京都では技術だけでなく世界を見るということ、チャレンジする事、人柄、感謝すると言うことを学ばせてもらいました。

その後、「やってみなはれ」の精神でアメリカへ留学。

アメリカUCLAに留学中、23歳で交通事故に遇ったが奇跡的に死の淵から戻った。

大きな事故だったがむしろ自分は生きていて強運だと勇気がわいた。
2年半延長して帰国した地元島根、石見銀山はゴーストタウンになっていた。
京都でも大阪でも東京でもなく寂れた石見銀山で始めた中村ブレイス。

「島根から世界へ」
左:当時の石見銀山周辺 右:改装前の納屋


本当にゼロ、融資もなく納屋を改装してはじめました。
1人の顧客に1人の社長、まず自分が生きていくことで精一杯でした。

アメリカから瀕死の事故に遇い帰ってきた私を支えてくれたのは地元の人々。
自分が一生懸命やっているとチャンスというものは与えられます。

その恩返しにゴーストタウンになった地元石見銀山の地域整備を進めています。
おかげさまで過疎化が増える中、若者が増える町となりました。
出資した保育園も当時4人だった子供は今では20人に増えました。
納屋を改装した社屋から、古屋の改装も現在64軒目に取りかかっています。
ゼロからここまでくるまで50年かかりました。

コツコツが自分のやり方、それを京都、アメリカで学ばせてもらい元気をもらいました。
このすべてのストーリーの元には京都がありました。

素直であること、感謝することこれを忘れずに皆さまも頑張ってくださいと話を締められました。

その後、会社見学をさせていただきました。

質疑応答にもお答えいただきました。

最後に公文幹事長の謝辞があり集合写真を撮影し終了しました。

中村ブレイス株式会社の皆さま、企業研究委員会の皆さま、ありがとうございました。


その後、昼食会場まで石見銀山麓、大森町を御案内いただきA、Bコース合流し周辺散策をしました。

古民家再生運動により町外からの起業、開業した店舗が入っています。

もとは梅の加工場だったものを改装し、多目的ホールとしてつかわれる現なかむらホール

良質な粘土から作られる石州瓦。特徴ある色合いの屋根が目立ちます。

昼食を頂いたお店も古民家を改装したお店でした。

食事の後は石見銀山を散策しました。


その後、広島駅より京都に帰りました。

企業研究委員会の皆さまありがとうございました。
そして2年間お疲れ様でした。


京信JOC第20期企業研究集大成ベンチマークツアーin広島・島根 事業報告アーカイブ(リンク)

 


この記事の作成者:広報委員長 上田

※本記事は、各会員が、思い思いに書いておりますので、京信ジュニア・オーナー・クラブの正式見解ではありません。