時代遅れ
皆さま、こんにちは。
洛北部会 株式会社 ユーヘイ・カミチェリーアの西垣雄平と申します。
このところ思いがけず自分の時間を過ごすことが多くなり、この時間をどう過ごすかがコロナ後の自分の行く末を決めるなどと最初は意気込んでみたものの、結局多くの時間をネットドラマと映画鑑賞で時間を浪費する事に。
自分以外の価値観を知るには有意義な時間だったと、王様の様な言い訳をしながら眠りの浅い睡眠をとる今日この頃です。
そんな自分vs自分に一度も勝利した事の無い私ではありますが、最近ある報道を目にした事から42才の“マイレボリューション”が起ころうとしています。何を馬鹿なと思いますが、大器晩成、老年の恋。
要するに何を始めるのも今が一番早いという、部活のめっちゃ優しい先輩の優しすぎるアドバイスの様なものです。
今日は私の“マイレボリューション”に至るまでの短い思考の道のりを、お話しさせて頂きたいと思います。
最近、テレビのニュース番組等で、行政改革担当大臣の一挙手一投足がメディアで報じられて話題を呼んでいます。
「新しい価値を創造する」
「行政の無駄を省き、各省庁に横串を入れる」
「行政の作業にハンコはいらない」
それらの報道に心の中で快哉を叫び、これからの行政改革に期待に胸する一方、こんな事も思います。
これからの“価値”に私の仕事は含まれているのか?
私は北山でオーダーシャツ・オーダースーツの店をさせて頂いています。
私共がお客様にお仕立てさせて頂いているスーツやそれに伴うシャツは、19世紀後半のアメリカのビジネスシーンにて普及したのが始まりです。
それまでのフロッグコートなどを簡略化したその当時の“新しい価値”であったスーツは、それから1世紀以上の間、技術、生地、芯、シルエット、美意識、などにその都度磨きをかけ、20世紀が終わるまでは、私達の仕事などに無くてはならない物でありました。
Yves Saint Laurent (1936 – 2008)
ところがこの21世紀に入り、依然そういった“紳士服”というジャンルは存在するものの、仕事のスタイルや美意識の変化、機能性や合理性から考える時代の再検討の的になる事も多くなりました。
本当にスーツって必要なの? 特にビジネスシーンにおいての絶対性というのは薄れつつあり、ケースバイケース、着る人の裁量によるといった、選択したい人が選択するものという曖昧なものになりつつあります。
私もそんな現代に生きる人間ではありますので、時代の流れというものを考えると、心が暗くなってしまうのを禁じ得ません。
ですが私はそこでもう一歩考えを進めることにしました。
長い時間受け継がれて来たものの“価値”の本質というのは何なのだろうか。
色々その事について、自分の仕事以外ののもので考えてみました。
例えばハンコはどうだろうか。
ハンコも雑駁な行政の業務の中では、いちいち捺印する必要が無いと思いますが、私たち市井の中での何かが始まる、もしくは何かが終わる時のハンコというのは、とても大切なものだと思います。
その内容が書かれた紙にひと際鮮やかに押された朱色の印。そこには本人の明確な“意思”という物が感じられます。簡潔ではありますが、明瞭に一読する者を納得させるある種の“美しさ”というものがそこにはあります。
そのものにはそのものにしかない“価値”がそこには確かに存在する。
雰囲気やインスパイアといったものとも違う。
2020年直近の新進気鋭の若手ミュージシャン達が、70,80年代のロックやパンクに強く影響を受けた楽曲を発表しても、それはもはや私が好きなロックやパンクじゃない。
懐古主義の極みですが、それらはあくまでロック風パンク風であって、そこにはデヴィッド・ボウイやシド・ヴィシャスは存在しない。光陰矢の如し、マリリンモンローノーリターン。
日本のパンクロックを80年代後半から牽引し、今も尚強いカリスマ性で、私達ロックファンを魅了し続ける甲本ヒロト氏は、この様に語っています。
「僕は自分自身が進化しているとは思わない。すごろくの“上がり”でここまで来た。上がったのは中学一年生の時。その時聴いたロックンロールに大感動したの。そこから一歩も出ていない。」
もちろんヒロト氏と私は全く違う人間。影響力の大きさだって太陽と石ころくらいちがう。でも何かに魅せられ、それを具現化ようとしているといった意味では同じはず。
何故自分自身が魅せられたものが、この時代まで必要とされ存在したかという事の価値を、再検討するのは時代ではなく自分にあるという事に気づく事ができたというのが、私の遅咲きではありますが “マイレボリューション” という事だと思います。
スーツであればその人から滲み出る様な生地感と色。そして少し自己主張してくる柄。
透き通る様な奥行きのある白のシャツ地。
スーツと同系の色でまとめたネクタイのワントーンコーディネイトも良し。
遊び心のある軽い調子の外した色目のネクタイも素敵です。
やはり私はいくら時代遅れと言われても、この前時代の価値からは一歩も抜け出す事は出来ません。記号的にビジネススーツを着る時代は終わりを迎えようとしていると思いますが、能動的に意思を持って着る価値はまだまだあると思います。
なぜならその人に合った紳士服は、誰が何と言おうと圧倒的に格好良いからです。
そしてこれまで40年以上先輩達が、そして私たちが愛したJOCにもゆるぎない価値があります。JOCの価値を決めるのは時代ではなく、私たちです。
本格的に再開した時には、アクセル全開で失われた時間を取り戻したいです。一日も早く皆さまと再会できる事を楽しみにしています。
※本記事は、各会員が、思い思いに書いておりますので、京信ジュニア・オーナー・クラブの正式見解ではありません。