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東日本大震災の記憶

イノベーティブ研修委員会の西垣です。

この10年間、この時期になると思い出す記憶があります。おそらく大半の人がそうだと思うのですがそれは東日本大震災。

当時社長になったばかりの私は福島県出身の社員がいることを思い出し、

『実家は大丈夫か?』と尋ねました。当時20代後半だったその社員は、

『まだはっきりとは聞いてないんですが結構キツイみたいで…』と顔を曇らせていました。

社員が辛いときに自分は何かできないか、会社として何かできないか、と考えたうえ一番有効的かと思いお見舞金を用意しましたのですが、その社員は、

『そんなの貰えない』と頑なに拒みました。ですがこちらとしてもなんとか受け取ってほしくて

『お前に渡すわけではない、実家に渡したいだけだ』と、何とか理由をつけて渡しました。

翌朝、その社員は私のところへ来ました。ちょっと話があるとのこと。

お見舞金のお礼なのかと思ったのですが、昨夜お見舞金の事を実家に話したところ、

『私たちは大丈夫だからお金は送らなくていい。返せるのなら会社に返したら』と言われたとの事。

でも社長の性格を考えると絶対受け取らないと伝えたところ、

『それならあなた達が使いなさい。2人目も生まれたばかりなんだから』ということになって…

その流れは僕からすると想定内でしたので

『実家がそう言ってくれてるのならそうしたらいいよ』と返したのですがその社員が続けて口にしたのは、

『それはそれでありがたいと思うのですが、妻と相談した結果、会社が許してくれるなら寄付しようと思うんです』

『???寄付!!!』ビックリしている私をよそ目に

『自分の実家よりひどいところがいっぱいあるんです…。その人達を思うと寄付するのが一番いい選択だと思うんです』と力強く言われました。

 

『渡したお金をどうしようが僕は知らない。自分達の思うようにしたらいいよ』

その時の僕にはそう返すことしか出来ませんでした。

というより、それ以上話すと泣いているのがバレそうだったから…

社員は『ありがとうございます!では寄付させていただきます!』と言って職場へ向かいました。

こんなにも素敵な社員がいてくれることの感謝で涙がこぼれました。

私の心がすさんでいるとの見方もありますが…

 

あれから10年…

その社員は今、製造部の部長として社員の為、会社の為に活躍してくれています。

 

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この記事の作成者:イノベーティブ研修委員長 西垣

※本記事は、各会員が、思い思いに書いておりますので、京信ジュニア・オーナー・クラブの正式見解ではありません。