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名言集(5)

10.10.12

南部会&情報委員会の寺阪です。

 

名言がまとまりました~

 

 

 

「わが家には銀の冑を着た兵がいて、

戦いのたび毎に真っ先に進み出て、

よく働いている。

この男に劣らず振る舞うようにいたせ。」

 

 

戦国武将である蒲生氏郷が、新しく雇い入れた勇将の士たちに対して述べた言葉です。

 

 

ところで一体「銀の冑を着た兵」とは誰か????

 

 

本当に、戦となると、

 

本当に「銀の冑を着た兵」が、真っ先に敵陣に切れ込んでいった。。。。

 

 

なんと!!驚くことに・・・・

 

「銀の冑を着た兵」こそ「蒲生氏郷」本人だった。

 

 

蒲生氏郷・・・・

 

豊臣秀吉の配下でありながら、

 

豊臣秀吉が恐れた男!!

 

 

常に、率先垂範を信条に、

 

大将自ら真っ先に敵陣に切れ込む潔さ勇猛さ

 

ただ単なる猪武者ではなく、

 

知略にも富んだ戦術家。

 

 

その才智に、

 

織田信長は惚れ込み、

(自らの次女と嫁がせる)

 

しかし、豊臣秀吉は蒲生氏郷を恐れ、

 

 

その率先垂範ぶりを、秀吉は特に恐れたらしい。。

 

朝鮮出兵の際にも、

 

「勝利したら、朝鮮半島は私に」という蒲生氏郷を、

 

出兵させなかったそうです。。。

 

 

結局、

 

松坂から奥州へ移封となる。。。。

 

奥州で92万石という大大名となるが、

 

 

「たとえ大領であっても、奥羽のような田舎にあっては本望を遂げることなどできぬ。

小身であっても、都に近ければこそ天下をうかがうことができるのだ」

 

といって涙したという。

 

 

 

豊臣秀吉は、

 

移封を嫌がる蒲生について、

 

さもあるべし。こっちに置いておくと恐ろしい奴だ。

 

だから奥州にやったのだ。」

 

と述べたという・・・

 

 

しかし、45歳の若さでで死んでしまうとは・・・・

 

本当にもったいないですね。

 

 

 

もしかしたら・・・・

 

天下人となっていたかもしれませんね。

 

 

 

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