名言集(6) |
10.10.19 南部会(情報委員会)の寺阪です。 またまた名言の紹介をさせていただきます。 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」 名門・尼子家の重臣として、戦国時代前半を駆けた山中鹿之助の超有名な名言です。 僕自身、昔は、 この名言が大好きでしたが・・・・ 正直今では、あまり好きではありません。。。 経営者となって・・・辛くて、しんどい事ばかりだったので・・・・ 悪い事は数珠つなぎのようにどんどんとやってくるものです。。。 心配いりません!!! 願わなくても七難八苦はやってきてくれますから~~~(残念) 正直、「願わくば七難八苦はこないでくれ~」と、いつも思っております。。。 山中鹿之助は、 知勇に優れた武将で、当時ではかなり有名な剣豪でもあった。 滅亡した尼子家再興を誓い、毛利家との戦いに生涯をかける。 負ければ潔く死を選ぶことが当たり前だった戦国時代において、 山中鹿之助は、敵方である毛利家に囚われても、監視の目をかいくぐり、 トイレから糞まみれになりながら脱出を図ったりするなど、 決して最後まであきらめない、ある意味「戦国一の悪あがき武将」である。 最期は、吉川元春に謀殺されてしまいますが・・・・ この「決してあきらめない精神」と「しぶとさ」は、学ぶべき点が大いにあります!! 僕は、山中鹿之助のそういった点が大好きです。 しかし、これで終わりではありません。 まだまだ最後までお付き合い下さいませ。 山中鹿之助には山中新六という息子がいたのは知ってましたか?? 新六は、父親の死後、武士をやめ、伊丹で商人の丁稚奉公をする。 当時は商人の身分がかなり低かったので、武士を辞め、商人の丁稚奉公なんて、 かなりあり得ないくらいアンビリーバルな出来事である。 しかし、これだけでは終わらない。。。。。。。 新六は、造酒製法の失敗から、 なんと清酒を作り出す事に成功・・・・・ それをきっかけに一気に豪商への道へ!!! そして、なんと「鴻池財閥」の創始者となる。 鴻池財閥・・・・・ 江戸時代最大の豪商であり、当時の日本の富の半分以上は鴻池が 握っているとさえ言われていた。 明治時代の廃藩置県(各地の藩に貸金をしていたのを踏み倒された)や 戦後の財閥解体などで勢いはなくなってゆくが、 あの三和銀行は鴻池財閥がつくった銀行であった。 戦国時代の超有名な武将の息子が、 江戸時代のNo1豪商となる。 ホンマにビックリさせられる「嘘のような本当の話」です。 これだから歴史は面白い!! 長々とお付き合いいただきありがとうございました。 |