10.07.31
田中です。 昨日は入院中の母の誕生日でした。 75歳になられました。 実は平成19年10月のある朝、突然心臓が止まって緊急入院となりました。 7時半くらいでしょうか、父が大きな声で叫びました。 「お母さんが死んだ!お母さんが死んだ!」 慌てて見てみると自分の部屋の布団に倒れ込んで動かなくなっている母がいました。 すぐに救急に電話をして、指示に従い家内が応急の人口呼吸をしながら救急車を待ちました。 いつも7時過ぎまでに神棚や仏壇へのお仕えを済ませてるはずなのに、おかしいなと思った父が 様子を見に行って初めて気付いた状態でした。 普段から心臓の持病を抱えていて不整脈が起こったりするので頻繁に通院し、薬も欠かさない日常 でしたが、あまりにも突然のことでした。 蘇生しないまま、救急車で桂病院に運ばれて集中治療室へ。 心臓が停止してから処置までに約20分から25分くらい経過していました。 通常は6分が限界といいますので、絶望的かと思っていました。色んなことを悔みました。
警察が来て状況を説明したりしなければなりませんでしたが、呆然としながらもたもたと答えていたのを 憶えています。どのくらい時間がたったでしょうか? 主治医の先生から「なんとか心臓動きました」との報告をうけました。 「よっしゃー!!!」もうそれだけでした! 「肥大型心筋症」というものでした。 そこからはICUで凄い装置に囲まれての緊急処置が延々と続きました。 人口心臓、人口呼吸と至る所に管管管というような状態でした。 しかしそれからは驚異的な回復力を見せて、なんとか装置や管も一つづつ外れていきましたが、 心臓停止時間による「低酸素脳症」という致命的な症状は残り、現在も意識は戻っておりません。 でも有難いことに、これまでに3件の病院にお世話になってますが、どの病院も本当によくして頂いて 通常では考えられないくらいです。
今年の10月で倒れてから丸3年になりますが、この3年の間に色んなことが劇的に変わりました。 一番は移転です。 現在の自宅兼会社の土地も母が元気な時に一緒に見に来て、移転については資金繰りはじめ色々と 積極的に話もし、自分達が建てて長年住んできた自宅についても未練はなく、僕らに託すということも 聞いていたので、苦しい中での選択もたくさんありましたが、母が復活することを想定してどんどん進める ことが出来ました。京信さんはじめ沢山の方々の協力がなければ実現しませんでした。 一人で経理を担っていたので、どうなることかと思いましたが家内と二人でなんとか引き継ぐことも出来て いますし、母の知らない新しい会社の設備やスタッフの面々など本当に色んなことが変わりました。 でも今もまだ母は頑張っています。仕事をしながら毎日毎日看病に行く父も頑張っています。 結局のところ、こうした基盤を築いてくれたのは両親です。本当に感謝しております。なによりもです。 凄い状態から復活して見事にまた誕生日を迎えられた母に本当に「おめでとう」と伝えました。
何を言ってもまだ反応はないですが、きっとこの3年間のことは全て耳で聞いてわかってはるように 思います。どんな形でもいいから早く病院から出られて、母のことを考えて作った新しい家に戻って きてほしいなと思います。びっくりしはるやろうなーと思います(笑) それまで益々頑張らな! 田中
コメント (0)
|
コメントを投稿する
|